未来について様々なテーマを設定しながらナビゲーターの浦野・小林が語り合うミライ・ミキサー。第41回目は「いのちの在り方」という難しいテーマについて話しました。
このテーマを取り上げたキッカケは「トゥクダム」というドキュメンタリー映画です。
トゥクダムとは、チベットの高僧が瞑想の状態のまま死に至ることです。トゥクダムに至ると、通常の遺体に起きる死後硬直や腐乱が起きず、まるでまだ瞑想しているかのような状態が数日から数週間も維持されるのです。
この映画では、実際に複数のトゥクダムの高僧が写されていますが、いずれも本当に眠っているだけのように見えるのです。
トゥクダムの人はすでに呼吸も心臓も止まり、脳波も計測できません。チベット仏教の教えでは、意識が最も深い段階に至り、そのまま維持されていることで身体が腐敗しないのだと言います。実際にトゥクダムの人たちは西洋医学では説明が付かない状態を維持しています。
このとき「いのち」はどうなっているのでしょうか?
私たちは、いのちがどこに在るのかを分かっているのでしょうか?
西洋医学では脳が意識を司っていると考え、心肺停止の状態が続けば死とみなします。しかし、東洋医学では死に至る過程と考えているようです。
人間は37兆個もの細胞の集まりです。細胞一つ一つも生きています。毎日、たくさんの細胞が死に、そしてたくさんの細胞が誕生します。西洋医学が死を宣告するとき、本当に全ての細胞が死んだ状態にあるのでしょうか?
トゥクダム中は細胞の一部のいのちが維持されているのではないでしょうか?
浦野さんと私は Netflix の「死後の世界を探求する」の全6話も観ました。
6話の中で前世の記憶を話す複数の人が出てきます。転生について長年研究を続けているバージニア大学の教授がそれぞれの事例について科学的に検証を行い、過去に実在した人物の情報との一致が確認されたのです。
映画「トゥクダム」でも最後は輪廻転生の話が出てきます。
輪廻転生は東洋的な思想では比較的受け入れられているのではないでしょうか。
では、転生する意識、または記憶はどこに在ったのでしょうか? それは何か物理的に存在していたのでしょうか?
「死後の世界を探求する」6話の事例では、硫黄島で日本軍の攻撃で墜落死した空軍パイロットの記憶を正確に語る少年が出てきます。そのパイロットが墜落死したのは1945年です。
この前世の記憶を現世の少年が語るまでに70年以上経っているのです。
ミライ・ミキサーでは、これらの話は科学的には解明できていないが、西洋科学的なモノの見方と、東洋思想的なモノの見方の2つの軸で見ると「生」と「死」にはいくつかの段階があるのではないか、との話になりました。
トゥクダムや輪廻転生は、疑い難いリアリティを持って現象として現れています。これらの現象は西洋科学ではまだ解明することが出来ませんが、東洋思想では解釈できているのではないか。
科学の進歩と共に、将来は解明できる時代が来るのかもしれない。
人類にはまだまだ解明できていないことがたくさんあり、それらは非科学的だと切り捨てるのではなく、私たちが知らない領域にあるのだと考えれば、まだまだ探究すべきことは山ほどあるとワクワクしませんか?
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